うつ病について
						またページが増えてしまいましたね。
																								今回は「欝になってしまった人の考え方」と「家族の理解の大切さ」をお話しようかと。
						まず、うつ病になった場合初期症状としては、以前にもあげた「倦怠感」や「何となく落ち込みがち」なんですが
																								欝が進行してきますと「自殺願望」が出てくる場合が多いです。
																								「自分は生きていても仕方の無い人間だ」「存在するだけ無駄だ」激しい自己嫌悪・自己否定がおこります。
																								それがピークに達すると、発作的に自殺行為を行ってしまいます。
																								ここで一つ注意しておきたいのが、以前あげた「自傷」です。
																								これは「SOS」のサインなんです。「心が苦しいよ、吐き出すところが無いよ、誰か助けて」という。
							
						もし、これを読まれているあなたがお母さんだとします。
																								子供が自分で自分を傷つけていたら、もの凄くショックを受けると思います。
																								でも、そこで怒ってはいけないんです。さらに追い詰めてしまう結果になりますから。
																								きつく問い詰めるのもダメです。ほうっておくのは、もっといけません。じゃあどうすればいいか。
																								まず、こう言って上げてください。「お母さんに話せる事があったら、言ってごらん?何でも聞くよ?」と。
																								お母さんは子供にとって、もっとも身近な存在です。そしていつでも甘えられる、そんな存在です。
																								まぁ、そうでないお母さんも世の中にはいると思いますが(苦笑)
																								その時に、何かを話すかどうかは、その方々の親子関係にもよりますから割愛します(笑)
																								もし何も話してくれなくても「あなたのその存在に意味があるんだよ。それがとても大切なんだよ」と言ってあげてください。
						あなたが「お母さん」でなくても良いんです。
																								「友人」「兄弟・姉妹」「旦那さん・奥さん」身近な人が一人でも理解する、それがとても必要なんです。
																								理解者が居なく、追い詰められてしまった患者さんは、自殺行為に走ります。
								
								
								milkもその一員でした。
							
						全てを理解するには、あなたも欝にならなければなりませんので、無理です(^^;
																								理解するのは全てではなくて良いんです。一部でも、少しでも。
																								「理解しよう」この姿勢があるか無いかで大違いです。
							
						ここからは、少し長くなりますがmilkが現在に至るまでを、少々はしょって話そうかと。
																								興味なければ飛ばしてくださいm(._.)m ペコッ
							
						私が欝になったのは、5年ほど前です。
																								その時は自分が欝だとも分からず、ただ乗らなければならない電車に乗れない、そんな自分に腹が立って病院へ行きました。
																								感で、だったんですが「これは精神的な問題だ」と思い精神科へ迷わず(^^;
																								その時出された診断は「パニックディスオーダー(パニック障害)」でした。
																								はっきり言って「はぁ!?」って思いました。
																								パニック障害とは、ある一定の条件下において「過呼吸・動悸・パニック」が起こるもので、別に電車に乗れないのとは関係が無かったからです。
								
																								この病院じゃダメだ、と思い違う病院へ。
																								そこの先生はきちんと話を聞いてくれ「良く頑張ったね、必ず治る病気だから大丈夫だよ」と言ってくれました。
																								泣きました。そんな事を言ってくれる人は誰も居なかったから。
																								でもその病院は「心療内科」でも「精神科」でも無かったので、その先生の紹介で違う病院へ。
								
																								そこには長く通いました。でも今思ってみると、あまり良い病院ではなかったのかなぁ、と。
																								話はきちんと聞いてくれます、時間がかかっても聞いてくれます。でも薬を毎週変えるのはどうかと(^^;
																								結局担当だった先生が外来から引退する事になり、新しい先生に代わったはいいんですが・・・怖い。
																								何だかとっても怖い先生だったんです。話も良く聞いているのかどうなのか。
																								折が合わずに「転院したいんですけど・・・」と言ったら「どうぞご勝手に」と。
																								紹介状も書いてもらえずに、また一から病院の探し直しです。
								
																								次に「クリニック」という所へ言ってみたのですが、いまいちでした。
																								先生はカウンセラーさん任せな感じで、カウンセラーさんは新人なのか何だか信用できず(^^;
																								そんな感じのまま「何か体調が優れないなぁ」と近くの病院へ行ったんです。
																								ここは実は最初に駆け込んだ精神科がある所で(^^;
																								内科もあるので内科にかかりに行ったんですが「う〜ん、どうも精神的な事が影響してるみたいだねぇ」と言われ「ぎくっ(^^;」
																								そこで紹介されたのが、今まで主治医だった先生でした。
								
																								この先生になってから、坂を転げ落ちるがごとく悪くなっていきました。
																								プライベートな事なんですが、母が精神病に理解がなかったんです。
																								母の言葉にどんどん追い詰められていきました。
																								欝になってから、彼氏と別れ、会社をくびになり、でも娘は育てなければいけないそんな状況でした。
																								手首を思いっきり切ってから保育園へ迎えに行ったこともあります。
																								母に行けと言われたから。その時にはもう自分で考える力もありませんでした。
								最近友達にその時の状況を話されたのですが「目の焦点も合ってなくて、園の入り口で立ちすくしていた」そうです。
								覚えて無いんです。
								
																								覚えているのは、今までの主治医になる前までの事、それもうろ覚えです。
																								時間の感覚も無く、生きている感覚も無く、ただ呼吸して布団に居るだけ、そんな自分の事しか覚えていません。
																								だから手首を切って娘を迎えに行った事は友達に教えてもらいました。
																								そんな状態で相変わらず母からは冷たい仕打ち、と言うかいない人扱い。
																								心配して戻ってきてくれた旦那だけが頼りでした。でも、その旦那すら信用できてなかったんでしょうね。
																								娘の卒園式に出て、数日後、薬を大量服用して自殺を図りました。
																								これも後から旦那に聞いたのですが、私、薬を飲んでから一日位ほっとかれたみたいで。
																								普通、娘が部屋の真ん中に倒れてたら、救急車を呼ぶと思うのですが、父とベッドに戻した、と母が言ったそうで。
																								その後、旦那がまだ起きないと言っても様子を見に来るわけでもなく。
																								泡吹いてきたんだけど、と言っても見にこなそうだったので無理やり連れてきて見せたそうです。
																								その時父は冷静に救急車を呼んでいたそうです。
							
						何日経ったのかは分かりませんが、目が覚めたら病院で点滴やら酸素マスクやらをつけられていました。
																								で、そのまま精神科病棟へ入院です(-"-;)
								
																								でもそこで出来た友達は、とても大切な友達になりました。
																								今でも連絡を取り合って、どちらかが落ちてると「大丈夫か?とにかく寝ろ」とかってメールを送りあってます。
																								今は、旦那も以前より理解力がアップして、私も伝えようと努力しているので、友達からは理想的だよねと言われています(笑)
							
						でも、母の態度は変わりません。
																								相変わらず調子が悪ければ、居ない人扱い。病気の話には一切耳を貸さない。
																								ちょっと調子が良くなってくると、叩き落す。
																								こんな事は発言してはいけないのかもしれませんが、私は母に憎しみを抱き始めています。
																								彼女は自分の都合の良い様にしか物事を捉えず、自分の子供が苦しんでいても手を貸さなかった。
																								母だと思えなくなっています。可愛くないのならば、産んでくれなくて良かった。そう思っています。
																								旦那がどんなに頑張って、私の気持ちを持ち上げてくれても、母が一言で叩き落す。
																								母が嫌いです、憎いです。
							
						ここまでが私の今までの経歴と、今の心境でした。
						うつ病の患者さんのご家族の方。
																								どうか突き放すような事はしないでください。
																								患者さんにとっては、家族が全てで絶対なのですから。
																								私のような思いをする人は、もうこの世に生まれて欲しくないのです。
																								全てを理解しようとしなくて良いんです。ただ、ほんの少しでも気にかけてあげてください。認めてあげてください。話を聞いてあげてください。
							
						うつ病の患者さん。
																								どうしても理解者が出来なかったら、私に話してください。
																								自殺行為に走る前に、ありったけの思いを込めたメールを送ってください。
																								全てを受け止めることは出来ないかもしれないけれど、拙い文章かもしれませんが、返事は必ずします。
																								私は幸いにも理解者に恵まれました。
																								でもその全ての人達が、血の繋がりが無い人です。
																								もしかしたら、私があなたの理解者になれるかもしれません。
								
								
								
								
								
								
								
																								今回も長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。